2013/04/09

プロテスタンティズムの倫理と功利主義の精神 part1


 もういまとなっては最初にどんなふうに知ったのかは忘れてしまったけど、ずいぶん長いこと気になってきた論文がある。


 おもしろい(気がする)のに、テーマ的に似通った文献でも引用されないし、参考文献でも見かけない(つまらないのか?)。

 著者の素性もよくわからない(著書はないのか?)。
 
 なにより、もう30年も前の論文だ。
 けっこうボリュームあるし、時間をかけて読む(ましてや、それについてこうして書く)価値などないのかもしれない。
 しかも、自分の語学力のなさを棚に上げていうと、なんか読みにくかったりもする...

 けど、どうしても気になるので、意を決して何回かに分けてその論文について書いていこうと思う。



 著者は Gary A. Abraham。

 タイトルは「The Protestant Ethic and the Spirit of Utilitarianism: The Case of EST」。
 1983年の論文で Theory and Society 12(6): 739-773 に載っている。

 タイトルを見てわかるように、ヴェーバーの議論に立脚している。

 est を題材にとり、「今日の心理療法的なセルフヘルプ運動のイデオロギー的起源」を調べることを目的としている(Abraham 1983: 741)。
 
 論文のキー概念の1つは「hygienic utilitarianism」である。
 定訳が(あるのかも)わからないが、以下では「衛生功利主義」とする。
 
 hygienic という語からは、なんとなく身体的・有機的なものが連想されると思うけれど(そんなことないかな?)、論文で問題にしているのは一貫して「心」や「考え方」の衛生である。
 つまり、「mental hygiene」(精神衛生)のことである。
 現在では mental health という言い方が一般的だけど、かつては mental hygiene という言い方のほうが主流だったらしい。

 20世紀初頭のアメリカで「精神衛生運動」(mental hygiene movement)と呼ばれる運動が起きた。

 論文では同運動についてさりげなくふれられる程度だけど後学のためにごく簡単にまとめておこう。

 精神衛生運動のはじまりは1908年、コネチカット州に「精神衛生協会」が設立されたこととされる。

 設立に主に携わったのがC. W. ビアーズ(Clifford W. Beers, 1876–1943)で、彼はいまでは「精神衛生運動の創始者」に位置づけられている。
 
 当時、精神病院における入院患者の処遇はひどかった。
 その環境改善の機運を高めるきっかけをつくったのが、ビアーズの著書『わが魂にあうまで』(A Mind That Found Itself)だったとされる。
 自身、重度のうつ病に罹患し精神病院に入院したビアーズはその体験を本にまとめた。
 
 精神衛生運動はそこからはじまった。

 なお、精神衛生運動については、未読だけど以下の論文が参考になりそう。

 Cohen, Sol, 1983, "The Mental Hygiene Movement, the Development of Personality and the School," History of Education Quarterly 23(2): 123-149.

 今回の論文の主題にとって重要だと思われるのは、運動が掲げたのが、精神病患者の待遇改善ばかりでなかった点である。

 運動は、精神医学・心理学の拡大を後押しし、人びとの精神的な健康への理解や意識を高める結果をもたらした。

 これは明らかに現代の心理学化の先駆けといえる。 


 たとえば平木典子は著書『カウンセリングの話』のなかで、今日的な意味合いにおける「カウンセリング」の発展・普及に寄与した運動の1つとして精神衛生運動を挙げている(平木 2004: 34, 41-2)。

 (ちなみに他には「職業指導運動」と「教育測定運動」の2つを挙げている。)

 Abraham は、このときクローズアップされた「精神衛生」という考え方が est に代表されるような現代(1970-80年代)の「セルフヘルプ運動」や「新宗教運動」の“教義”のなかに継承されていることを示そうとしている。


 つづく。