2014/01/24

「魂の救済」運動

 
 リアルセルフ論に飽きたので(!!)、今回は、ロイ・ウォリスのテキスト(↓)のメモです。
 Wallis, Roy, 1979, "Varieties of psychosalvation," New Society, 50: 649-651. 
 
 ただのメモ。
 
 このテキストは、エスト、サイエントロジー、シナノン、超越瞑想など自己啓発系セラピーのグループに共通する特徴を考察したものである。
 ウォリスはそれらを魂の救済」(psychosalvation)運動と総称する
 それは、「25年前かそこらに出現した、個人心理学的ないしサイコスピリチュアルな成長や『自己実現』のための理論・テクニック・環境を提供する、宗教的・世俗的な運動および集団」(Wallis 1979: 649)と一般化されている。
 
 そうした運動・集団に共通する特徴はなにか。
 ウォリスは次の諸点を挙げる(以下のように項目を立ててはいないが)
 
 a) 完全になり得る」(perfectible)という考え方
 ――私たちは潜在能力を秘めており、「魂の救済」運動を通じて、それを十全に(そして無限に)発揮することができる。
 b) 個人主義・自己責任
 ――能力発揮のためには、社会ではなく個人が変わらなければならない。また翻って、現在の困難の原因は社会ではなく個人にある。
 c) 世俗的な価値の追究
 ――「魂の救済」運動は、精神的な成長だけでなく現世的な利得をもたらす(この点で、「魂の救済」運動は世俗の価値・規範を概ね受け入れている)。
 d) 現在の強調
 ――実際の感情や経験を重要視する。
 e) 個人的な問題への関心の低さ(=精神分析との相違点・その1)
 ――「魂の救済」運動はいくつかの点で精神分析に似ている。が、そのひと個人(の生い立ちや生育環境)の問題ではなく、その問題をどう捉えるかに関心を払う点で異なっている。
 f) インスタントであること(=精神分析との相違点・その2)
 ――また、精神分析よりもはるかにインスタントな性格をもつ。
 g) 民主的性格
 ――トレーナー・セラピスト・リーダーとメンバーの階層的な差は小さい。トレーナーやリーダーはかつての参加者である場合が多く、そうなるための教育的ハードルも(精神分析に比べれば)低い。
 h) 商品化
 ――運動のもつアイディア、スキル、テクニックは販売可能なものとしてパッケージ化されている。
 
 また、ウォリスは魂の救済」運動の教義やエートスの核となるアイディアとして、以下の4点を指摘する。
 1) 達成――物心両面にわたる成功の約束
 2) 順応――過去でも未来でもなく現在・現実へのフォーカス(エストに顕著)
 3) 解放――社会的な拘束からの解放、「本当の自分」の表出(エンカウンターに顕著)
 4) 親密さ――コミュニティの形成

 なぜこの4点が強調されるかといえば、ウォリスによれば、それは、それらがまさに「先進資本主義社会」の性質を反映しているからである。

 より正確には、それらを犠牲に成り立つ社会こそが「先進資本主義社会」であると。
 
 「先進資本主義社会」は、「成功」の責を個人の能力に負わせるがゆえに、個人にさまざまな犠牲を強いる。
 現在の欲望を犠牲にしなければならないし、「本当の自分」を押し殺す必要があるし、共同体的・地縁的な紐帯は足枷と見なされる。
  
 伝統的には宗教がそうした側面をカバーする役割を担ってきたが、もはや機能不全に陥っている。
 それゆえ、それらを提供する(と謳う)「魂の救済」運動に大きな需要が生まれるのだとウォリスは分析する。
 
 以上、メモ終わり。
 
 ウォリスが「魂の救済」運動と呼ぶような運動・集団についてはずっと気になっている。
 それらを共通性において見ようという試みは良いと思う。
 ウォリスの指摘した特徴を、今度は新宗教運動やニューエイジ運動と比較し、「魂の救済」運動の特殊性を(あれば)探ってみたい気もする。
 
 ただ、その共通のラベルを、なぜ他ならぬ「psychosalvation」という語にしたのかは特別ふれられておらず、それが最後まで疑問だった。
 
 
 

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