(つづき)
SSRIメーカーが日本の市場に参入するにあたり、大きな障壁として立ちはだかったのは文化的な問題だった。
象徴的なのが「depression」と「うつ病」のギャップだった。
日本において従来「うつ病」とは、基本的に重篤な症例を指していた。
あくまで入院治療や長期治療を想像させる言葉だった。
対する、英語の「depression」はもっと一般的で用途の広い言葉である。
深刻な精神疾患も指す一方で、Kathryn Schulzの「Did Antidepressants Depress Japan?」という記事(⇒ リンク)の表現を借りるなら、好きな野球チームがペナントで負けてしばらく落ち込む場合なんかにも使われる。
この差はたとえば入院期間にも反映されているといえるかもしれない。
Schulzの記事によると、精神疾患の平均入院期間はアメリカでは10日以下なのに対し、日本ではなんと1年以上である。
日本でのSSRI導入は、アメリカ、イギリスに比べ10年以上遅れている。
この10年は、そうした文化的な差異を前に、導入を目論む人たちがした断念や逡巡に費やされたといえる。
日本でSSRIの定着させるためには、日本の従来の「精神疾患」のイメージを変えることが、ぜひとも必要だった。
別の言い方をすれば、「うつ病」を「depression」に近づける必要があった。
Schulzの記事でもいわれるように、日本の「うつ病」観には、「軽度の」(mild)うつ病というものが含まれていなかった。
それはほとんど先天性の不治の病を連想させた。
だから、明確な症状、はっきりとした罹患の疑いがなければ、病院に赴くことなど選択肢にあがらなかった。
SSRIメーカーが必要としたのは、もっと一般的にも話題にしやすく、薬によって症状を緩和することのできるうつ病観だった。
「depression」のように、軽度の症例をも「うつ病」に含めて扱うことができれば、“潜在的な消費者”のパイを大きくすることができる。
前回参照した冨高はこういっている。
SSRIの売り上げを伸ばすには、うつ病にかかったら病院に行くという意識を社会に根付かせることが必要となる。そして医療機関に受診してもらうには、何はともあれ、まず本人が病気に気づくことが必要なのである。そのためには「病気の啓発活動」を行う必要がある。(冨髙 2010: 75)そのため日本では、1999年以降、有名人がCMに起用され、うつ病は誰でも罹患しうる身近なものだとのメッセージが発信されるようになった。
Schulzも先の記事でいう。
軽度のうつ病は感染性ではないが、その言葉の根源的な意味合いにおいて、communicableだと見なすことができる。製薬会社とメディアは、過去5年にわたって、一貫したあるメッセージをcommunicateした。つまり、あなたの苦しみは病気かもしれない、と。このメッセージを広めること、これを目的に、製薬会社の啓発活動は展開された。
折りしも、そうした新しいうつ病観にぴったりの表現が生まれた。
それは「病気の啓発活動」にとって大変便利な表現だった。
それが、「心の風邪」である。
ウォッターズはいう。
GSK社が直面していた大きな問題は、日本の精神科医やメンタルケアの専門家がdepressionをいまだに「うつ病」と訳しているために、多くの日本人にとって、不治の先天的な病を連想させるということだった。この言葉の意味するものを和らげようとして、マーケティング担当者はきわめて効果的だとあとになってわかった、ある比喩を思いつき、うつ病を「心の風邪」と表現し、これを広告や販促資料のなかで繰り返し用いた。(Watters 2010=2013: 267)「心の風邪」は、ちょうどタイムリーに話題になってもいる。
マイク・ミルズ監督が撮った日本のうつ病に関するドキュメンタリー映画『マイク・ミルズのうつの話』が現在公開間近(10月19日)であり、同作では「心の風邪」がキーワードとなっているからである(⇒ 公式サイト)。
というよりこの映画、そもそも原題が「Does Your Soul Have A Cold?」(心の風邪をひいていますか?)である(参考までに映画に関する記事:日本人の“心の風邪”の実態に迫る「マイク・ミルズのうつの話」予告公開)。
「心の風邪」という表現の出所はどうもはっきりしないらしいが、新しいうつ病観を定着させるのに「きわめて効果的」だったことはたしかだ。
ちなみにパキシル(商品名)の物質名「パロキセチン」のウィキペディアの記述にはこうある(⇒ リンク)。
軽症のうつ病を説明する「心の風邪」というキャッチコピーは、1999年に明治製菓が同社のSSRIであるデプロメールのために最初に用い、特にパキシルを販売するためのグラクソスミスクラインによる強力なマーケティングで使用された。軽度のうつ病としての「心の風邪」。
それは風邪のように、症状を薬で抑えることができる。
それは、ただし、風邪のように放っておくと、ひどいことになるかもしれない。
だから病院へ行き、薬を処方してもらおう、というわけだ。
◆
疾患と製薬会社の啓発・販促活動との関係性についてはとくに欧米では、以前より問題視され検証されてきた。
たとえば参考文献として、翻訳があるものだと、クリストファー・レーンの『乱造される心の病』や、より製薬会社の方にフォーカスしたマーシャ・エンジェルの『ビッグ・ファーマ』などがある(きちんと読めておりませんが・・・文末にリンクを貼っておきます)。
もちろん、前回紹介した冨高さんの『なぜうつ病の人が増えたのか』も、読みやすく、かつ丁寧で、なにより安価なのでおすすめです。
ウォッターズの本が素晴らしいと思えるのは、その議論の射程が、SSRIを売り込む製薬会社のマーケティング活動に限定されていないことだ。
彼が語ろうとするのは、原著の副題「The Globalization of the American Psyche」にある通り、アメリカ流の精神疾患概念――もっといえば、「心」についての考え方――のグローバル化現象だ。
第4章の例でいえば、アメリカ式のdepressionによるテイクオーバーだ。
『クレイジー・ライク・アメリカ』の舞台は、いずれも西欧以外の国々ばかりである。
題材もうつ病だけではない。
第1章は香港における拒食症を、第2章はスリランカにおけるPTSDを、第3章はザンジバルにおける統合失調症を、事例として扱っている。
当地には、それぞれ、「土着の」精神疾患の在り方と、それへの対処法があった。
だが、アメリカの精神疾患概念(その明文化としての『DSM』)が輸入されることで、それらが変質する。
ウォッターズが同書を通して描き出そうとするのは、この変質である。
以上に書いてきたような問題は、すでに検証も進み、文献も多く出ている。
前回から今回にかけては、それらをまとめるつもりで書きましたが、なんだか稀釈したような内容になってしまいました。
また関連文献を読んで続編を書ければと思います。
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